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歌道と仏道を一心に歩む非僧非俗の凡夫

内田 圓学

プロフィール

こんにちは、わたくし令和和歌所(歌塾、あかね歌会)を主催しております内田圓学と申します。

育ちは須佐之男命はじめ柿本人麻呂また後鳥羽院など所縁深い和歌の聖地たる島根。大学で日本美術などを学び、蒔絵師松田祥幹に師事して伝統工芸「蒔絵」に打ち込んでいたところ、琳派を慕って伊勢や源氏物語に思いを馳せるうち、日本美に認められる「もののあはれ」の原点はやはり「和歌」なかでも「古今和歌集」にあると覚り、歌道を本格的に歩み始めました。
その後、様々な旧歌に学び歌僧頓阿に私淑するに至って、明治以降途絶えた和歌文化の再興ため「令和和歌所」を開設、古典和歌に親しむ「歌塾」などを起こし、活動の幅を広げています。

今私が最も申し伝えたいこと、それは古典和歌とは単に鑑賞や教養の対象ではなく、令和という新たな時代にも生きる文芸(詠み、書き、歌う)であるということです。「詞は古きを慕ひ心は新しきを求め…」という定家の言葉は今も生きています。

ぜひみなさま、日本文化のそして日本人の心の源泉である和歌に親しみましょう。そして「歌道」に生き、ともにその名を刻もうではありませんか。

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こんなことを教えています

伝統に恋して、今の心を詠み継ぐ

和歌とは、人の心を種として、たくさんの言の葉となったものです。だれしも生きていればいろいろな関わり事があるものですが、人はその度に心に思うことを、見るものや聞くものに託して歌に詠んできました。いえ、人だけではありません。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、誰もが歌を詠んでいることがわかります。

花を愛で、鳥を慕い、春の霞や秋の露に心を惹かれる。和歌はこのような心を大切にしながら、何年も何年も詠み継がれてきました。それはあたかも麓の塵や泥からできあがった山が、雲のたなびくところまで成長するように…

延喜の世のこと、梅を頭にかざすことから始め、ほととぎすの声を聞き、紅葉を手折り、雪を見るまでの四季の歌、また大切な人を鶴や亀にたとえて祝う賀歌、秋萩や夏草を見てわが妻を思い慕う恋歌、逢坂山を越える姿を浮かべながら旅の無事を祈る離別・羇旅歌、あるいはそれらにとらわれない様々な雑歌を千首お撰びになりました、これが歴史に名高いはじめての勅撰集、古今和歌集です。以来、代々の帝もこれをお撰びになり二十一代の歌集が編まれました。

しかし世は流れ、とくに明治よりこのかた、人の心が移ろいやすくなったためか、風雅を愛するものでさえ和歌を詠まなくなりました。ましてあらたまった場所では花薄が穂を出すといったように… 堂々と歌を出すということがなくなってしまったのです。こうして和歌は今や埋もれ木のように… 人の知らない文芸となり、そのまことの心を知るものはいなくなってしまいました。

今は世は令和と名付けられました。この「令和」には特別な意味があります、それは奈良の帝より前の時代の歌を集め、歌の源といわれる万葉集の中の言葉から採られた名であるということです。このような時代に、和歌がふたたび詠まれないということがあるでしょうか。
人麻呂や赤人そして旅人らは亡くなりましたが、歌の道は今に伝わっているはずです。たとえ時代が移り変わったとしても、書された歴々の和歌はあり続けているではありませんか。青柳の糸が絶えることがないように、松の葉が散り失せないように… 歌の跡が残っているかぎり、歌のさまや心を知る人は、大空の月を見上げるようにいにしえの和歌を恋慕い続けているのです。

ここに、令和の世にふさわしい歌を集め撰びます。二十一代の集に採られた歌は除きますが、空飛ぶ鳥が網を漏るように、水に住む魚が釣針を逃れるように… 撰集に漏れた優れた歌を集めます。さらには和歌の浦の跡を尋ね、敷島の道を楽しみながら、令和の時代の新しい歌を集めます。まずは千々十巻を目指し、いにしえに恥じることない、永く後世に伝わる歌集を撰びたいと思います。

この道を仰ぐものはだれでも構いません、富士の山の煙が立つように、長柄の橋を新たに作るように… 私とともに和歌をふたたび詠み慕いましょう。

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